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女拓



『女拓』田村泰次郎(中央公論社・1964・初版)

田村泰次郎が自ら綴った女性遍歴。
『春婦伝』や『肉体の悪魔』のモデルとなった女性とのエピソードも収録されている。
装幀・挿入絵は棟方志功。

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テーマ:古本 - ジャンル:本・雑誌

西野瑠美子著『日本人「慰安婦」の処遇と特徴』を批判する

日本の「慰安婦」研究者や支援者たちの悪いところは、
右派同様、自分達に都合が悪いところは、無視するか、見たとしても「疑いの目」を持ってみているところだと思う。
例えば、西野留美子氏のを例に挙げてみると、それがハッキリしている。

業者が証言すれば、
「業者の口を通しての回想なので、業者に不利な点は語らないだろう」(『日本人「慰安婦」愛国心と人身売買と』・「戦争と女性への暴力」リサーチアクションセンター編・現代書館・西野瑠美子著『日本人「慰安婦」の処遇と特徴』p125)

元兵士が証言すれば、
「にわかに信じがたい話」(同 p131)と信じようともしない。

また、収入面では菊丸さんなどが早く借金を返し、稼いで帰ってきたことを例にし、
「朝鮮人『慰安婦』には見られない特徴」(同 p126)
「朝鮮人が敗戦でようやく解放されたという状況とは決定的に異なる。」(同 p126)

と勝手に決め付けている点も、個人の思い込みからくるものなのかもしれないけど、自然に証言を選別し、見たくないものは無視してきた結果であろう。右派左派両派に共通する悪い癖だ。

元慰安所の管理人の日記を読むと、慰安所の帳場で働く筆者が、慰安婦に頼まれて送金したり、貯金したり、廃業から帰国の手続きまでをしていることがよくわかる。

ビルマの日本軍慰安所(日本軍慰安所管理人の日記)
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/10/comort_women_diary.pdf

7月9日日曜日、晴天
金本○愛とその妹の○愛が今般帰郷のため廃業するといい、主人の西原様は承諾したので、今日廃業届けを出した。

7月11日火曜日、晴天
金本○愛とその妹の○愛の二名に対する廃業関係で、保安課営業係に行って手続き書類を提出した。

7月12日水曜日、晴天
保安課営業係から金本○愛に対する旅行証明手続きに要する証明書を受けた。

7月20日木曜日、晴天
金本○愛と、その妹の○愛の両人を連れて、特別市保安課分室旅行係に行って、帰還旅行証明の手続き書類を提出したが、不備な点があり、そのまま持ってきた。

8月7日月曜日、晴天
金本○愛とその妹の○愛、二名の旅行証明が出て、南方運航会社に乗船の申し込みをした。

8月9日水曜日、朝暴雨後曇晴天
正金銀行に行って金本○愛ら姉妹二名に対する送金許可申請を提出し.....

8月14日月曜日、雨曇晴天
金本○愛とその妹の○愛は今日の16時に内地行きの船に乗るため、停泊場に集合した。

(日記に登場する慰安婦の金本さんは苗字から察して朝鮮人だと推測する。また、廃業したいと申し出たとき、借金があったのかなかったのか慰安婦になった経緯は不明だが、前借があって返済し終わって帰ると言ったのではなく「帰郷のため」という点は注目すべきで、さらに研究が必要だと思う。)


西野氏の主張は、右派が元慰安婦の証言を疑いの目でみているのと全く同じである。研究者や支援者が、このような目で証言などを扱ったり、見ている限り、慰安婦問題が解決される日は来ないだろうとつくづく思う。

テーマ:従軍慰安婦性奴隷制問題 - ジャンル:政治・経済

酒保の兵士と逢引きし、追い出された朝鮮人慰安婦--時丸さん

《元従軍芸者・黒須かなが営んだ慰安所と朝鮮人慰安婦》


黒須かなは12歳で芸者の道に入り、その後満州で芸者としてはたらく。その後、北支で朝鮮人たちと慰安所にて働く。そこでは朝鮮人慰安婦に着物の着付けや髪を結ってあげたりしている。軍より「慰安所をやってもらえないか」という要請を受け、軍から1500円を貰って、慰安婦を中国にて探すことになる。そこで日本人の酌婦を紹介され、更に酌婦の紹介で一人の朝鮮人を紹介され、二人の借金を返し、二人を連れて帰り、慰安所経営生活が始まった。やがてふたりの朝鮮人が「働かせてほしい」と黒須かなの元を訪ね、彼女達を受け入れることになった。


《朝鮮人慰安婦・時丸》

「時丸さんとちょぼ丸さんは朝鮮の慰安婦で、二人とも夏県から『満丸』の噂を聞いてやってきたのだった。
 ちょぼ丸さんは、夏県で朝鮮人経営の慰安所で働いていたが、麻薬を仲間にはやらせたとかで、そこの店を追い出された。
(略)
 時丸さんも同様だった。ただ彼女は夏県の部隊の酒保に働く日本兵と恋におち、夜、酒保で逢い引きしているところを見つけられ軍隊から追い出された。
(略)
時丸さんは、二十四~五歳の明るい女性で、色白で背が高く日本の着物がよく似合ったという。
『着物がよう似合うとうちがいうと、「チョゴリならもっとベッピン」っていうて笑わせよりましたね。朝鮮にカンコウ南道とかいうところがあって、そこからきてるっていうてましたね。なんでも三つになる男の子が一人いてその子を母親に預けてきてるっていうてましたね。時丸さんが生んだ子で、テテ親のことまでは知らんですよ。食堂の横にある丸いドラム缶のお風呂に入って、よく朝鮮の歌をうたいよりましたけど、そら性質のいい子やったねえ』
(略)
一九四一(昭和十六)年の元旦、時丸さんは夏県に逢引きに行きたいとしきりに頼んだのだが、黒須かなは正月は隊長さんのところに挨拶に行かねばならぬとそれを許さずいっしょに挨拶廻りに出かけた。翌二日、時丸さんは始めての休みをもらい、とっておきの晴着ときつねのえり巻きを借りて喜々として夏県へ向けてトラックに乗った。
『お正月の挨拶廻りのとき、「お母さん、うちの首がない」って道に映った自分の影を見ていうでしょうが。何ね、ここにちゃんとあるじゃないねって叱ったんだけど、何か変な気ィがしたんよ。
 一月四日の夜、兵隊さんがドヤドヤと入ってきて、白木の箱持ってくるでしょう。それ何ねって、うちびっくりして聞いたら「おばさん、時ちゃんが死んだ」って兵隊さんがおっしゃるでしょ、うち、もうたまげてしまって。
 時ちゃんは、前の晩酒を飲んで酔っぱらってしまって城外に出て、銃弾を二十一発ぶちこまれて蜂の巣のようになって死んでたそうな。きっと日本の晴着を着てたんで、匪賊に日本人と間違えられて撃ち殺されたんよ。
 その晩は兵隊さんたちもたくさん拝みにきてくれて。丁寧に弔ったですね』
遺骨はただ一軒だけある朝鮮の写真屋に頼み故郷まで持ち帰ってもらったという。
(以下略)」


『戦争と人間の記録 軍隊慰安婦・新装改訂版』金一勉 編著(徳間書店・1992年)『芸者・黒須かなの従軍』」上坪隆 p177-179)より

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