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河を渡っている慰安婦の写真は「朝鮮人慰安婦」である~能川元一氏に反論する

河を渡る慰安婦
※画像は『従軍慰安婦--元兵士たちの証言』西野留美子(明石書店 1992)口絵より。原典は『別冊毎日グラフ』一九六五年八月一日(毎日新聞社)。キャプションは「昭和13年6月18日撮影『北支黄河沿岸柳園』で、河を渡る慰安婦」とある。

『季刊 戦争責任研究 第85号』に掲載されている大学非常勤講師である能川元一氏の『千田夏光「従軍慰安婦」は「帝国の慰安婦」においてどのように援用されたか』(p2-10)の中に誤りがあったので指摘しておく。

この中で二人の慰安婦が河を渡っている写真について、能川氏は次のように述べている。

 「(略)千田氏がそのように推測した理由は『頭の上にトランクをのせている姿は朝鮮女性がよくやるポーズである』からというものであるが、女性たちはスカートをたくし上げて徒歩で河を渡っているところを撮影されているのであり、そのような場合に手持ちの荷物を頭の上に乗せて濡れないようにすることは、特定の民族の風習・習慣に限定されることではない。(略)」(『季刊 戦争責任研究 第85号』p4)

しかし、千田夏光氏は後年発刊された対談本のなかで、あの写真について次のように語っている。(もしかしたらこれ以前に発刊された書物に同じような記述があるかもしれないが、筆者は未確認である。)

 「この写真を調べていると、たまたま腰までスカートをめくった二人の女性が、頭に荷物を乗せて川を渡っている写真があった。これ、何だと聞いたところ、これが『朝鮮ピー』(朝鮮人慰安婦)だというわけです。」
(『従軍慰安婦-その支配と差別の構図』千田夏光・馬原鉄男 対談・部落問題研究所・1992・p17)

また、西野留美子氏は90年代に書いた自著のなかでこう書いている。

 「混沌とした思いを抱きながら、改めて一枚の写真に見入った。一九三八年(昭和十三年)六月に、中国北部の黄河沿岸柳園で撮影されたこの写真には、二人の朝鮮人慰安婦の笑顔があった。水に濡れないように腿までスカートをたくしあげている二人の表情は意外にも明るい。
 一九三八年六月という日づけは、ひじょうに興味深い。中支派遣軍によって初めて軍隊慰安婦が集められたあの年である。「昭和十三年十月二十八日の武昌、漢口攻略の頃には、全中国戦線に三万人から四万人の慰安婦が集められていた」(千田夏光『従軍慰安婦』)とすると、その四ヵ月前の写真の彼女らもそのなかの一人であろうか。
『進撃する部隊を追い第一線に向かう』慰安婦である。一人は、何が入っているのだろうか、四角い鞄を大事そうに頭に抱え、もう一人は二人分の日傘を脇に抱えている。『慰安婦たちの太平洋戦争』(山田盟子著)のなかの一文を想起する。
『・・・・将官用の女は日傘なしで歩くと、司令官から文句がでたのです。日焼けをしないでほしいと、三十本の日傘が駆逐艦で運ばれてきました・・・・』
 彼女たちは将校用の慰安婦なのであろうか。」(『従軍慰安婦--元兵士たちの証言』西野留美子・明石書店 1992・p147)


西野氏の引用の方法も、また引用元である山田盟子氏の著作にも少し問題があるので、次の機会に譲りたい。


問題は、能川氏の研究不足によるものもあるのだろうけど、彼をとりまく人々は誰もこの件に関して気付かず、指摘していない点にある。この批判文が掲載される以前に能川氏のブログでは公表されていた内容である。



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テーマ:従軍慰安婦性奴隷制問題 - ジャンル:政治・経済

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