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酒保の兵士と逢引きし、追い出された朝鮮人慰安婦--時丸さん

《元従軍芸者・黒須かなが営んだ慰安所と朝鮮人慰安婦》


黒須かなは12歳で芸者の道に入り、その後満州で芸者としてはたらく。その後、北支で朝鮮人たちと慰安所にて働く。そこでは朝鮮人慰安婦に着物の着付けや髪を結ってあげたりしている。軍より「慰安所をやってもらえないか」という要請を受け、軍から1500円を貰って、慰安婦を中国にて探すことになる。そこで日本人の酌婦を紹介され、更に酌婦の紹介で一人の朝鮮人を紹介され、二人の借金を返し、二人を連れて帰り、慰安所経営生活が始まった。やがてふたりの朝鮮人が「働かせてほしい」と黒須かなの元を訪ね、彼女達を受け入れることになった。


《朝鮮人慰安婦・時丸》

「時丸さんとちょぼ丸さんは朝鮮の慰安婦で、二人とも夏県から『満丸』の噂を聞いてやってきたのだった。
 ちょぼ丸さんは、夏県で朝鮮人経営の慰安所で働いていたが、麻薬を仲間にはやらせたとかで、そこの店を追い出された。
(略)
 時丸さんも同様だった。ただ彼女は夏県の部隊の酒保に働く日本兵と恋におち、夜、酒保で逢い引きしているところを見つけられ軍隊から追い出された。
(略)
時丸さんは、二十四~五歳の明るい女性で、色白で背が高く日本の着物がよく似合ったという。
『着物がよう似合うとうちがいうと、「チョゴリならもっとベッピン」っていうて笑わせよりましたね。朝鮮にカンコウ南道とかいうところがあって、そこからきてるっていうてましたね。なんでも三つになる男の子が一人いてその子を母親に預けてきてるっていうてましたね。時丸さんが生んだ子で、テテ親のことまでは知らんですよ。食堂の横にある丸いドラム缶のお風呂に入って、よく朝鮮の歌をうたいよりましたけど、そら性質のいい子やったねえ』
(略)
一九四一(昭和十六)年の元旦、時丸さんは夏県に逢引きに行きたいとしきりに頼んだのだが、黒須かなは正月は隊長さんのところに挨拶に行かねばならぬとそれを許さずいっしょに挨拶廻りに出かけた。翌二日、時丸さんは始めての休みをもらい、とっておきの晴着ときつねのえり巻きを借りて喜々として夏県へ向けてトラックに乗った。
『お正月の挨拶廻りのとき、「お母さん、うちの首がない」って道に映った自分の影を見ていうでしょうが。何ね、ここにちゃんとあるじゃないねって叱ったんだけど、何か変な気ィがしたんよ。
 一月四日の夜、兵隊さんがドヤドヤと入ってきて、白木の箱持ってくるでしょう。それ何ねって、うちびっくりして聞いたら「おばさん、時ちゃんが死んだ」って兵隊さんがおっしゃるでしょ、うち、もうたまげてしまって。
 時ちゃんは、前の晩酒を飲んで酔っぱらってしまって城外に出て、銃弾を二十一発ぶちこまれて蜂の巣のようになって死んでたそうな。きっと日本の晴着を着てたんで、匪賊に日本人と間違えられて撃ち殺されたんよ。
 その晩は兵隊さんたちもたくさん拝みにきてくれて。丁寧に弔ったですね』
遺骨はただ一軒だけある朝鮮の写真屋に頼み故郷まで持ち帰ってもらったという。
(以下略)」


『戦争と人間の記録 軍隊慰安婦・新装改訂版』金一勉 編著(徳間書店・1992年)『芸者・黒須かなの従軍』」上坪隆 p177-179)より
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テーマ:従軍慰安婦性奴隷制問題 - ジャンル:政治・経済

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